はじめに
私たちは本当に“正しさ”で働いているのか?
それとも“感情”で働いているのか?
仕事の中で誰もが感じたことがあるはずです。
- 感情的な反応が判断を曇らせる
- 誤解が勝手に増幅される
- 注意が「攻撃」として受け取られる
- 空気が意思決定をねじ曲げる
この“感情の歪み”は、個人の弱さではなく、
人間が集まる以上、避けられない現象です。
でも、その瞬間に覚える違和感は、
本当に「個人の問題」なのでしょうか?
人の感情は、仕事の構造を簡単に歪めてしまう
現場で起きているのは、単なるコミュニケーション問題ではありません。
- 注意が人格否定として扱われる
- 弱い人に合わせて基準が下がる
- 努力の質より「傷つきやすさ」が優先される
- 同じ質問を繰り返す人に周りが引っ張られる
- コンプラが“逃げ道”になり、本質議論が避けられる
こうなると、
「誰のために働いているのか?」
「何のための組織なのか?」
本来の目的である “価値提供” がぼやけてしまいます。
弱さに合わせる文化は、誰も救わない
日本企業は“優しさ”に誇りを持つ国です。
しかし——その美徳が歪む瞬間があります。
弱さに合わせすぎると、強い人が疲弊し、
弱い人も成長できなくなる。
その結果:
- 基準が下がる
- 成長速度が止まる
- 価値提供が鈍化する
- 注意=ハラスメント化する
だから私はこう問い続けています。
「世界の組織でも同じ課題を抱えているのか?」
「それとも日本特有の文化が生んだ現象なのか?」
「世界では、このバランスをどう取っているのだろう?」
“構造化”で感情を消している組織
成長するアメリカ企業には共通点があります。
✔ Amazon
“Working Backwards”
→ 顧客視点 → 現場実行性 → そこから逆算して施策を決める
・会議は感情ではなく論理から始める(Amazon「6ページメモ」)
OKRの70%達成設計
→ 完全達成を目指さない
→ 「現場の成長率 × 実現可能性」を前提にする
・評価はImpact(影響)で決める
✔ Netflix Zoom MS 365
No Rules Rules
→ 個人裁量を最大化するが、
→ 責任の所在と実行可能性は常に明確化
・会議の偏り・非効率をAIが計測
心理的安全性を「強さを引き出すための設計」として扱っている。
弱さに合わせるのではなく、
強み・合理性・価値提供に合わせる文化。
そして現状できるBESTではなく、持続性を重視している。(70%での運営)
日本も本来この方向に進むべきなのだろうか?
それとも文化の違いとして受け入れるべきなのだろうか?
AIを“会議の裁定者”にするという発想
私はこう考えています。
「会議にAIを入れ、感情の歪みを“中立化”できないか?」
AIができること:
- 感情的な発言を赤で表示
- 論理的な発言を青で示す
- 発言量の偏りを検知
- 事実と推測を分離
- 論点を自動整理
- 個人攻撃にアラート
これは人を監視するためではありません。
人間が本来集中すべき“思考・戦略・創造”を取り戻すための技術。
しかしここで、新しい問いが生まれます。
- これは人間らしさを奪う行為なのか?
- それとも働くすべての人を救う行為なのか?
AIが発展する社会では、感情は“外向き”ではなく“内向き”の武器になる
AIが正解を提示できる社会では、
人間が持つ“感情”はさらに重要になります。
しかしその扱い方は変わる。
感情は本来、他者にぶつけるための武器ではなく、
自分の内面を理解し、選択を決めるための力になる。
怒り・嫉妬・衝動・違和感——
これらは自分の価値観を知るための“火種”。
そして私は、もう一つの問いを持っています。
「AIが正解を教えてくれる時代でも、
あえて自分の判断を選ぶ行為には、
どんな意味が残るのだろうか?」
AIが“最適解”を出しても、人はあえて違う道を選ぶ
それは非合理ではありません。
むしろ——人間らしさそのもの です。
どの瞬間に“あえてAIの推奨を外れたか”。
その軌跡こそ個性になる。
- AIは安全を選ぶが、人は挑戦を選ぶ
- AIは最短距離を示すが、人は寄り道に意味を見出す
- AIは効率を選ぶが、人は感情で進むことがある
だから私は、こうも問いかけたい。
「AIがあっても、
“自分で決める力”は価値を持ち続けるのではないか?」
AIが“ニュートラル”を担うことで誰が救われるのか?
AIが中立軸になることで、こんな変化が起こります。
- 誤解が減る(認知ズレが誰か明確化)
- 感情の衝突が減る(論理的な会議へ)
- 強い人の負担が減る(説明する手間省略)
- 弱い人に学習の機会が生まれる
- 管理職が感情処理から解放される
- 会議が“価値提供”に直結する
働くすべての人にメリットが生まれる可能性があります。
ただし、それでも私は断定しません。
なぜならまだまだAIは発展途上であり、技術的に難しい問題も多く
それを扱う人間の準備も出来ていないからです。
まとめ
「人間の感情が仕事を歪める部分を、
AIで中立化し、構造化する発想は、
本当に全員を救うのだろうか?」
「AIが正解を教える時代でも、
“あえて外れる自由”に価値は残るのだろうか?」
「人間の個性は、AIの合理からズレる瞬間に宿るのか?
それとも合理に沿うことで育つのか?」
「AI×感情×組織の未来において、
私たちはどんな人間像を選び取るべきなのか?」
私は答えを押しつけません。
ただ、この問いを共有して皆さんの意見を聞いてみたいです。
